巨匠の言葉

© Belta(WAKABAYASHI Mayumi )2025
少し前に、色鉛筆の世界では名前の知られた
(たぶん色鉛筆を超えたところでも)
巨匠と言って差し支えない先生の言葉を
聴くチャンスがありました。
巨匠は、
「色鉛筆で描きたい人は写真のように描きたいわけでしょ」
とおっしゃいました。
一言一句正しくは覚えていませんが、
「色鉛筆」「写真のように描きたい」という言葉は
使われました。
もしくは、
「写真のように描きたいから、色鉛筆を使っていますよね」
かもしれません。
ニュアンスとしては、
「写真のように描きたいと思っていますよね。
だから色鉛筆なんでしょ」
だったと私は受け止めました。
この言葉に私はちょっと反応したんですよね。
どことなく
「あなたたちは」という雰囲気があったから。
巨匠の作品は緻密です。
ただ、10年前より写真ぽくはない感じ。
何が言いたいかというと、
ここから先は、私の勝手な憶測ですが、
「絵画って、写真のように描くことじゃないんだよ」
という意味が含まれていたのではないかと。
そして写真のような絵を描きたくて集まっている人や
その人たちにテクニックを教えている自分に少し思うところが
あったのではないかと。
繰り返しますが、私の勝手な憶測です。
続いても私の憶測です。
「写真のよう」ということで注目を浴び、
「色鉛筆=写真のよう」という図式を作った一因になったことに
少しもやもやしつつも、それが仕事となり、
名声を高めた結果に、
「絵画とはそれだけではない」と言いたいのではないかと。
それが当たっていたら、
今後は、
巨匠自らが、
「色鉛筆は写真のよう絵を描くツール」という感覚を
変えるような発信、作品をだされていくかもしれません。
ということで、
ここから先は、憶測ではなく、私の考えです。
色鉛筆の世界は、写真のような写実を残しつつ、
新たな展開、または新たな方向が広がってくるかも、
ということ。
とすると、私のように、
リアルと非リアルを混ぜ合わせ、
そのさじ加減を工夫している人間にも、
光があたり始める?!
(考えというより希望、妄想です(笑))
私もかつてはリアルなものを描いていました。
細密展にも出展したことがあります。
私の場合、リアルを描くのは「練習」と思っていたので、
次第にリアルなものが描けるテクニックを生かしながら、
いろいろなスタイルで描いていく方向に向かったわけです。
おかげさまで、リアル全盛の今も
お仕事をいただけるのは、
そのさじ加減が少し認められてきたのかな、
なんて思ったりもします。
ぐたぐだと書いてきましたが、
色鉛筆で描くということの将来にどんな展開が待っているのか、
もしかすると私の時代が来るのか(笑)
そんな妄想を楽しんでいる、というだけです(笑)
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。








