何かが違っていたかもしれません。2つの事件に思うこと。

ちょっと固いお話し。

昨日から気になる話題がいくつか。

昨日は秋葉原の無差別殺人からちょうど1年。
TVのニュースでも盛んに取り上げられていました。

この事件、容疑者の言動からは強い疎外感を感じます。

それから、中央大教授刺殺事件。
逮捕された容疑者は、
「忘年会で先生に話し掛けてもらえず、
疎外されているように感じた。寂しかった」
と供述しているそうです。
(2009年6月9日 山陰中央新報)

メディアが報じること全てを鵜呑みにはできませんが、
二人には、よく似た雰囲気を感じます。

TA(交流分析)で言う「ストローク」の欠乏。

両事件とも、直接のきっかけとなる出来事(忘年会の疎外感など)は
あったのでしょうが、それ以前からずっとプラスのストローク不足だった
と思われます。

ストローク=ふれあいと思ってください。

人の体は、食べ物から栄養をもらいますが、
人の心は、ストローク(ふれあい)から栄養をもらいます。

ストロークがなければ、心は生きていけないのです。

プラスのストローク(認める ほめる 握手 あいさつなど)の方が
心にとっては良い栄養なのですが、もらえなければ、
マイナスのストローク(暴力 非難 悪口 叱られる)でも、
人は欲します。

でも、マイナスのストロークさえもらえなかったら。

心は死んでしまいます。
それは人そのものの死を意味します。

両容疑者の周囲の人も、
プラスのストロークを出していたはずだと思うのですが。

届かなかったり、受け取れなかったり…

愛情だけでは、ストロークは届かないのです。
また、受け取り方を知らないこともあるのです。

今となっては想像するだけですが、
二人がこれまでに「愛されている」という実感を得られていたら。

何かが違っていたかもしれません。

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