今読んでいる司馬遼太郎の「菜の花の沖」三巻より
主人公の高田屋嘉兵衛が知り合った
二人の武士の学問のついてのやりとりを見て。
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(侍など、ばかだ)
と、嘉兵衛はひそかに思っていたのに、
殿様とよばれている幕臣高橋三平の商品知識や
経済地理の知識は、ときに嘉兵衛のおよばぬほどに
みずみずしかった。
しかも、志がある。
(志というものは、上方にはない)
と、嘉兵衛は、このふたりのふんいきに接して、
こころよい敗北感をもった。上方にあるのは、
認識だけである。
認識は、わけ知りをつくるだけであった。
わけ知りには、志がない。志がないところに、
社会の前進はないのである。志というものは、
現実からわずかばかり宙に浮くだけに、
花がそうであるように、香気がある。
繰り返すようだが、この両人の香気というものは、
それではあるまいか。
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「志は、現実からわずかばかり宙に浮く」と
司馬遼太郎氏は語っていますね。
とすると、宙に浮いていると言われているBelta、
良いかも!(笑)
何にしても、「志」は忘れない。
ですね。