自己啓発本は、顕在意識で止まってしまう(Belta説)

今日のもう一つのブログの記事ですが、
こちらにも大いに関係があるので、
転記します。

もう一つのブログ
「Beltaの大人の効果的な学習方法」で、
昨日、新美南吉の「おぢいさんのランプ」をご紹介しました。
それを受けての記事です。

「知の旅は、深く静かに長く続く旅」

昨日ご紹介したのは、新美南吉。

このブログでももう一つのブログでも
時々、本をご紹介しています。

お気づきかもしれませんね、
ご紹介する本は「自己啓発」モノが
ほとんどないことに。

いえ、読んでないわけでもないのです。

が、ちょっとBeltaには、
ピン!とくる部分が少ないので、
ご紹介をしないのです。

そうですね、自己啓発モノは、
とてもわかりやすいのが、
今一つ…のような気がして。

こうやればいい、ああやればいい、
というノウハウ満載なところが。

ノウハウは、すごく大切な要素、
わかりやすく、誰でもすぐに使える形ですよね。

そこが、気になるところなのです。

というは、
「わかって」しまうと、
脳はそこから先へ進まないのではないかと。

意識の上層に控えている顕在意識が、
「ヨッシャ、わかった。了解!」としてしまい、
“済み”の箱にしまって「ハイ、終わり」

それっきり。

理解がたやすいから、完了がとても早い。

その点、物語、エピソードは、
少し様相が違います。

主人公は、なぜこんな行動をとったんだろう?
この言葉、深い示唆があるみたい、
あれ、こういう展開?

初めて出会う他人の脳、
感情をトレースするわけだから、
そりゃもう謎だらけ。

「わかった!」気になっても、
「もっと!」知りたい。

そこで、潜在意識が動き出す。

「なぜ?」を求めて。

顕在意識がとうに忘れて果てても、
密かにずっと、休まずたゆまず、ひたすら謎を追う。
知の旅を続ける。

そしてあるとき、
その謎が解決、または役立つ場面で、
帰ってくる。

昨日の新美南吉は、
そんな感じじゃないかと思うのです。

小学生の時に読んだ本、今頃、旅から帰ってきた。

本当の知の旅は、
潜在意識がするもの。

それには、顕在意識で止まる本は、
向いてないように思うのです。

Belta説ですけどね。

2 comments

  1. 新美南吉は尊敬する人物の一人です。
    『種を異にするものの魂の流通共鳴』を座右の銘にしていた人。
    子供の頃『手袋を買いに』は劇でやったし、
    『ごんぎつね』は教科書に載っていて涙しました・・・
    きっと動物が好きな人だったのでしょうね。

    私は、啓発本は全~っく読みません。
    ツマンナイ。
    本は勉強のため、とか、為になるから、とかの理由で読みたくないのです。
    楽しみの一つだから。。。

    ストラップ、楽しみにしています!
    これも楽しみのひとつ!

  2. >とらねこ1286さま
    コメントありがとうございます!

    新美南吉は、宮沢賢治とはまた違う魅力のある方ですよね。
    今のBeltaよりずっと年若い人とは思えません。

    ストラップ、発送しました。
    明後日にはお手元に届くと思います。
    楽しみにお待ちくださいね!

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