人はいつでも最善を尽くしている(NLPの前提)

先週の日曜日は、NLPセミナーでした。

NLPセミナーをするたびに思うのは、
Beltaは本当にNLPが好き、ということ。

特に、「NLPを学ぶための前提」は、
何度お話しても、じーんと胸を打たれます。

中でも一番好きなのは、

「いつでも現在可能な最善を尽くしている」

というフレーズ。

人はいつも、瞬間瞬間、その時できる最高と思われる選択をしている、
というのです。
他の人から見たら思わしくない行動でも、
その人にとっては、その時最高の選択をしている、という意味なんです。

たとえば、Beltaはごくたまにですが、わがままを言うことがあります。
(特定の人にだけ、ですよ・笑)

今から、宍道湖一周ドライブ(40kmあります)をして!とかね。

無理って分かっているのに。

でも、言っちゃう(笑)

困った顔が見たいから(笑)

相手が困った顔をするのは、「できない」と言い切れないから。
Beltaの言うことを、できればきいてあげたい、と思っているわけだから。

Beltaのこと、考えてくれていることが確認できるから。
Beltaはほっとする。

悪いなぁと、心の中では思うのですが、安心感が欲しくって。

安心感が欲しいのなら、人の迷惑にならない方法をとればいいのに、
他の方法を知らないために。

子供と一緒ですね。

つまり、多くの問題は、選択肢がないために起こるのです。
もっと選択肢が増えれば、違うこともできるはず。

手持ちの選択肢の中で、
人はいつもベストを尽くしている、
悲劇は選択肢が少ないことから起こる。

そう思うと、気持が楽になりませんか?

自分に対しても、他人に対しても。

もし、レストランでサービスしてくださる方が、
お皿をガチャンと置いても、こう考えることができるのです。

「この人、何かいやなことがあったのかな?
 今のガチャンで、少し気が晴れたかな?
 この人も、頑張っているんだな」
 
Beltaはこの考え方に出会ってから、
人のことを、すごく愛おしく感じるようになりました。

もっとも、時々、むっとくることもあるけどね(笑)

ただ、選択肢が無い、または少ない、
ことは本当に悲しいこと。

すぐ側にあるすばらしい選択肢を知らないために、
人も自分も傷つけるような方法しかとれないなんて。

だから、Beltaは人が人それぞれの選択肢を増やすことを手伝いたくって。
 
 

<セミナー終了後、お客様からこんなメールをいただきました>

いろいろとうなずく事があったのですが、一番インパクトを受けたのは
「いつでも現在可能な最善を尽くしている」という言葉です。

若林さんからその言葉を聞きながら、私の頭には昨年11月まで同居していた
義母の姿が浮かんでいました。

折り合いが悪く、今は施設に入っていますが、同居している時、存在
そのものに嫌悪感を感じてしまっていました。でも、義母のその姿は
本人にとっては最善を尽くしていたのだろうと今なら想像できます。

それ以上の気持ちには、まだなれないのですが、この言葉は非常に重みが
ありました。

人も、そして自分も、今その時、最善をつくしているのでしょうね。
少しだけ、人に優しくなれそうな気がしました。

NLPをもう少し学んでみたいと、今思っています。

人を変えるとか、人を自分の思い通りに動かすとか、そういうものではなく、
自分そのものを変えるのでもなく、自分の思っていることを相手に正しく
伝える。
そういう事なのかな・・・と思っています。

お話を聞いていて、当たり前のこともあったような気がするのですが、
でもそれを意識化することに意味があるというのも、なんとなくわかります。

また色々勉強させて下さい。
次回は3月30日との事ですが、出来る限り参加したいと思っています。
これからもよろしくお願いします。

(TMさん)
 
こちらこそ、ありがとうございます。
あなたとの出会いに感謝。
 

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