【装育】孔子のカラーコーディネイト 論語に見る装い

堅苦しい印象がある「論語」ですが、
孔子が衣服について語る場面があります。

「郷党第十の六」がそれです


「君子は紺緅(かんしゅう)を以て飾らず。
紅紫(こうし)は以て褻服(せっぷく)と為さず」

と始まります。

意味としては、

君子は、紺やとき色(うすい赤)では、襟や袖のふちどりをしない。
紅色や紫は普段着にしない。

です。

紺は物忌みの際、
とき色は喪が明け始める際に着る色、
紅色や紫は純粋な色ではない、
というのが理由です。

紺はともかく、とき色は現在のとき色と同じかしら?

「紅や紫が純粋な色ではない」というのは、
おそらく赤(朱)と青が純粋な色で、
その中間の紅や紫はあいまいな色という位置づけのようです。

古代中国では、五行思想に基づき、
黒、赤、青、白、黄の5つが純粋な色(正色)ですから、
その間の色は純粋ではない、ということなのでしょう。

「郷党第十の六」は、この後、


夏は薄い織物を着るけれど、外出のときは肌が透けないように、
上着を羽織る

とマナー的なことや



黒い服の下には黒い毛皮、
白い服の下には白い毛皮、
黄色の服の下には黄色の毛皮

とカラーコーディネート的なことが続きます。

他にも、

喪中の時は、腰には何も下げないが、
喪が明けたらなんでも下げる。

とアクセサリ的なことにも触れています。

論語にも面白いところ、あるでしょ?

参考文献

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