というタイトルの本を読みました。
色を扱う者として、
この問題はきちんと考えるべきだと思っています。
以下、感想です。
子どもの頃、印象に残る出来事がありました。
小学4年生だったかな、
クラスメイトの男の子がスケッチ大会で、
山を黄土色に塗ったんです。
他の人は緑に塗っているのに。
すてきな色使いだったので、
クラスのみんなは、「Mくん、すごーい」って大絶賛です。
ふだんでもMくんは、
色使いがすてきで、手先が器用。
絵も工作も上手。
図工の時間は一目置かれる存在でした。
そして、中学3年生。
進路を決める時、工業高校志望と聞いて、
みんなは、うんうん、ぴったりと言ったのでした。
ところが、
いざ願書を出す段になって、
Mくんは、なぜか商業高校を志望したのです。
???と思ったBeltaに、
男子の一人が教えてくれました。
「Mくん、色盲なんだって」
この時、初めて色弱と呼ばれる人達がいるということを、
意識しました。
その時はすでに、
色弱は工業高校への進学の妨げではなかったと思いますが、
田舎だったため、偏見が残っていたのでしょうね。
今、Beltaの周囲には、
数人の方がいらっしゃいますが、
60代以上の方は、思った進路に進めなかったと
おっしゃいます。
ただ、若い友人にはデザイナーとして活躍している方も。
時代は少しずつですが、変わっています。
色弱(良い言葉がないので使っています)については、
いろいろな場所で言われるように、
Beltaも、一種の個性と考えています。
ただ、他の感覚(嗅覚や聴覚)以上に、
視覚情報、特に色が社会のサインとして使われていることが多いのが
問題、かなと。
最近では、ユニバーサルデザインということで、
様々な工夫がなされています。
地下鉄の路線図、地図、学校の教科書は知っていましたが、
黒板に使うチョークなども、色が工夫されているそうです。
この本で、とても印象に残ったことが一つ。
それは、「C型」という呼び方。
俗に言う健常者、なのですが、
色弱のP型、D型に対応して、
広範囲の色が判別できる人をC型と言おうという提案です。
これ、いいですよね!
色弱という言葉をやめて、
見ることが得意は範囲に応じて、
全部「○○型」とするのは。
本の中でも紹介してありましたが、
「僕は、P型だからこの範囲の色は少し判別が苦手だけど、
黒から紺の判別はとても得意なんだ」
「私は、C型だから、緑と赤の判別で困ったら、
言ってね」
と補い合えるといいな。
今、黒と紺の判別と言いましたが、
タイプによって違いますが、色弱の方には、
青がとても鮮やかに見える方がいらっしゃるそうです。
そう言えば、友人の一人は、黒から紺の色が大好きです。
カラーセラピーでも、「紺はないの?」と聞くのです。
きっとBeltaには分からない深い味わいを
見出しているのでしょうね。
「色のない世界なんてかわいそう。
トマトもキュウリも茶色っぽく見えるなんて」
と言われる方もあるようですが、
見慣れた世界が美しいというだけ。
C型の赤や緑は、派手で賑やかで、落ち着かないと
言われそうな気もします。
色は目で見ると同時に、
心で見ているもの。
C型の人だって、ものの色は脳が判断して
見せているわけですから、
実物の色と違うことも多いのです。
その人の色の世界が一番美しいんですよね。
良い本を読みました。
とてもわかりやすく書いてあると思います。
色を扱う人は、 読んでみてください。
C型の人が色弱の方の見え方を体験できる眼鏡があります。
素敵な感想ありがとうございました。書いて良かったとしみじみ思いました。栗田。
>栗田正樹さま
ご丁寧にありがとうございます。
大変参考になりました。良い本をありがとうございます。
ブログも見ていただければ幸いです。
拝見しました。
お知らせ、ありがとうございます。